Designing World-realm Experiences:
The Absence of World "Users"

(世界経験のデザイン_"世界"に"ユーザー"はいない)

for Vision Plus 6, Vienna
10. July 1999


1. Summary

今日は、「Senseware」というカテゴリーのデザインプロジェクトについて、実験報告をしたいと思ます。「Senseware」とは、生きている世界をビビッドに感じ取るための道具の総称で、造語です。
「感じること(sense)」にフォーカスしている理由は、「人が生きていること」の核心が、そこにあると考えるからです。私達は、インターネットを基盤にした「Senseware」のプロトタイプ製作に、この数年間注力してきました。

「Senseware」とは、いわば「生きている世界に向けて開かれた窓」のようなものです。そのデザインにおいて重要なのは、「ありのままを表現すること」です。

デザインとは、インターフェイスすることであって、インターフェイスをつくることではありません。私たちは、他の人々や生きている世界と接したいのであって、コンピュータなどの情報機器や、インターフェイスデザインと接したいわけではない。それらはあくまでも、媒介に過ぎないはずです。
にも関わらず、情報機器やインターフェイスのデザインが妙に雄弁化して、その邪魔をしていることが多い。本来、その間をインターフェイスすることが目的のはずなのに。そして、向こう側の世界へ私たちをつなぐ前に、その媒介物の「ユーザ」として拘束してしまう。

これは、インフォメーションデザイン、インターフェイスデザインにおける、大きな問題でしょう。追ってご紹介する我々のプロジェクト群においても、それは大きな課題の一つです。特に、人々がまだ慣れ親しんでいない道具をデザインする時、私たちはこの問題に、正面からぶつからざるを得ない。
しかし、本来的には「ユーザ」なんていないのかもしれないのです。だって書籍ユーザなんていない。いるのは、リーダーです。サーフボードユーザなんていない。いるのは、サーファーです。最終的なゴールは、「ユーザ」と呼ばれる存在のいない経験の総体をデザインすることだ。それを忘れてはいけないと思うのです。

とは言え、私達は学術的な研究者ではありません。モノづくりの楽しみとして、「Senseware」のプロジェクト群を手掛けてきました。したがってこのプレゼンテーションは、ある論理の主張と言うより、私たちの実験報告として聞いてもらえればと思います。
「Senseware」とは何なのか。具体的な事例を通じて、紹介していきましょう。


2. What is the Senseware?
2-1. Breathing Earth


これは何だと思いますか?

これは「Breathing Earth」というプロジェクトです。地球上のすべての地震のライブデータを、インターネットを通じて取得。それを過去二週間分のループアニメーションに視覚化して、ウェブページ上に公開しています。このプロジェクトは1996年末に公開したので、過去二年半分のビジュアルデータをストックしています。

私たちは三年前のある日、WWW上に地震のライブデータのページを発見し、強く感動しました。ひとつは、こうした貴重な一次データが入手できるWWWという情報環境のユニークさに。もう一つは、地球がこんなにもたくさんの地震に溢れている、という事実にです。

ご存じのように、アジアは地球上でもっとも地震の多い地域で、日本もその一部です。しかし、そこに住んでいる私でさえ、こんなにたくさんの地震は感じ得ていない。(笑)

ウェブページ上では、最新の二週間分が毎日更新されていますから、カンファレンスが終わった後にでもご覧になってみてください。1日2コマのアニメーションで、下に表示されているのが日付。膨らみのサイズは、マグニチュードの大きさを示しています。いまこの瞬間も、地球はまるで生き物のように、そのカラダの節々を震わしているのです。

2-2. Night and Day

これは「Night and Day」というプロジェクトです。小さな画像は、インターネット上に点在している、リアルタイムのウェブカム画像です。

私たちがインターネットに初めて触れた1995年頃、まだ世界には数えるほどのウェブカムしか存在しませんでした。しかしそれから二年も経つと、世界にはゆうに5000を越えるウェブカムが存在していました。
ウェブカムの増加は、「みんなが少しずつうまくやることで、全体がすごくうまく機能する」というインターネットの特性を、そのまま体現しています。

「このカム画像を地球儀にマッピングしたら、今この瞬間に地球に落ちている影、太陽がつくり出している夜と昼の姿を、一望できるかもしれない」。そう思い付いた私たちは、緯線方向に地球を一周する24個のカム画像をサークル状に並べることで、そのアイデアを表現しました。これは、時計時間という人工の時間に対する、自然の時間の可視化。インターネット上に置かれた、新しいナチュラルクロックでもあります。

こうした地球の日影画像を、3Dグラフィックスで表現するソフトウェアはいくつか存在します。いいものもある。しかし、それらは計算に過ぎません。私たちは正確な時計が欲しかったわけではなく、インターネットを網膜のように使って、今まで見えなかった類の世界像が見れる、新しい「目」を作ってみたかったのです。

こうした「Senseware」の試みを、私たちは「Sensorium」というウェブサイトで展開してきました。「Sensorium」のメインテーマは「sense(感じること)」です。「人が生きていること」の核心は、五感と想像力をつかって、世界をいきいきと“感じている”瞬間の積み重ねにあると思うのです。

また誰もが知っているように、すべての創造行為で最後に問われるのは、つくる能力より、むしろ「感じる能力」です。音楽において決定的な力は、演奏する力ではなく聴く力だし、写真においては見る力です。環境問題も、環境そのものの問題というより、環境と自分の関係性をめぐる、感受性の問題ですよね。
人が真にクリエイティブであるためには、「生きている世界」をビビッドに感じつづけていることが、まず何よりも必要だと思います。ほおっておくと、つい当たり前な出来事の積み重ねとなって精細を欠いてしまう日常生活を、いきいきとした新鮮な世界経験に転化していく仕掛けが、いたるところに必要だと思うのです。

2-3. Star Place

これは同じくセンソリウムの中にある、「Star Place」というコーナーです。書かれている通り、このページを開いた瞬間から地球が太陽のまわりを何Km回転しているかが、リアルタイムにカウントされています。

一見静かに止まっているこの世界も、別の視点から見ればダイナミックに動きつづけている。ウェブを見ている人達というのは、コンピュータの前に座って、だいたいこんなポーズでマウスなど握っているわけですけど、その姿勢で宇宙空間をバビューンと飛んでいるわけです。この会場もそうです。

2-4. Net Sound

「Senseware」という窓で開かれる「生きている世界」は、地球や宇宙だけではありません。
これは「Net Sound」というプロジェクトで、東京のある大学の研究室のネットワークを流れているパケット群を、デジタルサンプラーを使って、リアルタイムな音に変換しています。ネットワーク上に用意された、一種の聴診器ですね。

私ははじめてインターネットに触れた時、ものすごく感動しました。どんなページよりも、インターネットという大きな仕組みそのものに感激したのです。「これこそデザインだ!」と思った。デザインとは色や形ではなく、人の世界観を拡げる仕事でしょう?
なので、インターネットへのリスペクトとして、インターネットそのものを表現する何かを作りたかった。先の「Breathing Earth」や「Night and Day」も、地球と同時にインターネットそのもののを表現しているのです。

2-5. Web Hopper

これはなんだと思いますか?

これは「Web Hopper」というプロジェクトです。インターネットを通じて、日本から海外のウェブサイトを巡っている複数の人々の姿を可視化している、ライブ・グラフィックスです。

ウェブページを見ている私たちは、それぞれ独りで行動しているように思っている。しかし目に見えないだけで、インターネットという空間の中を、複数の他者が同時にウロウロしているわけです。そんな有様を映し出す鏡を、インターネットの上に置いてみようと考えました。このリフレクターは同時に、インターネットという環境が、北半球に偏ったシステムである、という事実も描き出しています。

あらゆる近代のシステムには、洗練されていくに従ってインフラや構造を隠蔽し、ブラックボックス化してゆく傾向があります。しかし、それは本当の洗練なのでしょうか。
デザインの最大の目的は、人の「生きる力」を最大限に引き出すことだと思います。しかし、近代はこうしたブラックボックス化を通じて、人々を「生きる人」でなく、単なる「ユーザ」や「消費者」に限定してきました。これは、人間をスポイルしてしまう行為だと私は思います。


  河瀬直美監督「萌の朱雀」のワンシーンと
  実物の風鈴を紹介
3. 「そのものになる」ことのデザイン
3-1. 風鈴


「Senseware」がどういうものか、理解してもらえたでしょうか。こうした「Senseware」の古典的な一例が“風鈴”です。英語で言うWind bellですね。

“風鈴”という装置のインターフェイスデザインには、一考の価値がある。風鈴の面白さは、それが、音色の美しさそのものを楽しむための楽器ではない点にあります。その傾向は日本の風鈴に特に顕著で、楽器的な性質が、海外のWind-bellよりも低いように思われます。

風鈴が表現しているのは、音そのものではなく、「風が吹いている」という事実です。庭に面した軒先に吊された風鈴は、暑い夏の日、軒下を流れる風の存在を伝えます。この時、部屋の奥にいる人は、「ああ、風が吹いている」と、イメージの中で涼を取る。そして同時に、数秒後には部屋の奥へ到達するその風を待ち受け、無意識に肌の感度が少し上がる。風鈴とは、五感とイマジネーションを駆使して外界の情報を享受させる、複合的な「Senseware」の好例なのです。

私は“風鈴”という「Senseware」を生み出した昔の人を、尊敬してやみません。冒頭で私は、「デザインとは、インターフェイスすることであって、インターフェイスをつくることではない」と言いました。そして、「しかしそのインターフェイスに、人を拘束してしまうようなデザインが多い」と指摘しました。この点において、“風鈴”のさり気ないデザインは、群を抜いてよく出来ています。

モダンデザインのパイオニアの一人に、イタリアのアッキレ・カスティリオーニがいます。以前彼は、こんなことを言っていました。「レストランに行くと、テーブルに置いてあるデキャンタ。あれは、ゆるやかなカーブを描いていますね。しかし、ワインをグラスに注ぐ人が、そのカーブに気付いてしまうようなら、そのデザインは失敗なのです」。

私はインターフェイスデザインにおいても、カスティリオーニの意見に賛成です。インタラクションデザインが究極的に目指す地点は、「そのものになる」という全体的な経験のデザインでしょう。私が考えるインラクティビティとは、ユーザが何か働きかけると、何か別のイベントが起こるといったことではありません。「そのものになる」という経験です。

たとえばそれは、フォークのデザインではなく、「食べる」という経験の全体をデザインすることに等しい。「『食べるになる』、をデザインする」とでも言えば良いでしょうか。「Senseware」が目的としている「感じること」も、まさにその全体性を必要としています。したがって私たちは、「Senseware」でインタラクションデザインを極めなければならない。しかし、これがなかなか難しい。


  ビデオと併せて紹介
3-2. BeWare02: Satellite

これは、「BeWare02: Satellite」というプロジェクトです。インターネットに繋がったライブのオブジェで、センソリウムではじめてつくった物質的なインスタレーションです。

高さ80cmほどの、9cm×160cmのプレートの上に、地球の周りを周回している気象衛星からの最新の画像が投影されています。その画像は、衛星の飛翔速度でジリジリとスクロールしています。このベルト状の情報空間には、約102分間に相当する地球一周分のデータが表示されています。そしてプレートの表面を触ると、それぞれの場所の温度が、手のひらを通じて伝わってきます。
誰もが知っているように、「触ること(Touching)」はとても強力で重要な感覚回路です。この領域は、デジタルなインターフェイスデザインにおける、次のフロンティアなのだと私は思う。

温度は、気象衛星の赤外線画像を解析することでデータ生成し、プレートの内側にあるペルチエ素子を制御することで表現されています。

このインスタレーションは、1997年秋にリンツのアルス・エレクトロニカではじめて公開され、シーグラフ98やモントリオールのビエンナーレを巡回した後、現在東京のICC、Inter Commnication Centerというミュージアムで、日本ではじめての展示を行っています。

実際に触ってみると、冷たい場所が多い。それは、地球がおもに雲に覆われた天体だからです。不思議な面白さがあるプロジェクトです。機会があれば、ぜひ体験してください。とは言え、情報デザイン的な見地から評価すると、おそらく課題の多いプロジェクトでしょう。

床面には、プレート上の帯が地球のどの部分に該当するかを表示するグラフィックが自動生成されているのですが、「触ってみてください」とのインストラクションに従って、プレート面ではなく、床の方をタッチする人も時折いる。情報構造も複雑で、私たちは情報空間の秩序をゼロから構築することの難しさを痛感しました。

しかしモニターやキーボードといった、現在の標準的なコンピューティングの端末環境を離れたい、という欲求も強かったのです。パーソナルコンピュータは、「何かをする(つくる)」ための環境であることを強くアフォードしています。しかし「Senseware」の目的は「感じること」です。それは先にも触れた通り「そのものになる」ことなので、コンピュータの持っている環境特性と「Senseware」の目的のズレによる、ストレスが発生しやすい。

モニター・キーボード・マウスといった標準的なインターフェイスも、実は過渡期的な一形態に過ぎないのではないでしょうか。インターネットの端末が、現在のパーソナルコンピュータに限定される必要はない。実際、ページャーやセルラーフォンなど、新しいインターネットの端末は登場しつつあります。

また、ネットワークという技術は、まだ表現として二度目の誕生を迎えるまでの端境期にいると思います。たとえば、シネマトグラフという活写技術は、現在「映画」と呼ばれる表現に定着するのに、30〜40年の年月を必要とした。またその途中段階において、「映画」以外のものとしても育つ、様々な可能性を内包していました。
現在のインターネットは、技術としては生まれたけど、表現としてはまだ誕生していない。そのような段階のデザインに必要とされるのは、成熟ではなく「探索」と「実験」です。そして、コンピュータやインターネットに関わるすべての人が、未だその渦中にいると思う。私たちは、この新しい表現分野に探検者として参加できることの喜びを、忘れてはいけない。

「BeWare」は、そんなことを考えつつ模索された実験の一つでした。最終的なゴールは、(たとえば)インターネットに繋がったライブの教育機器です。知識でなく経験を提供するミュージアムプロダクトや、教室で使われる教具に発展させたいと考えています。



4. conclusion

「Senseware」というカテゴリーのプロトタイプを、いくつかご紹介しました。またその紹介を通じて、インフォメーションデザインや、インタラクションデザインに関する、自分の見解を述べてきました。

「デザインとは、インターフェイスすることであって、インターフェイスをつくることではない」ということ。「インタラクションデザインの究極の目標は、『そのものになる』という経験のデザインである」こと。そして、「そのインタラクションが完成した時、『ユーザ』という概念は消失する」ということです。

ユーザとデザイナーという二分。ユーザとモノという二分。このような分離のない、全体的な経験をデザインすることが重要だと思います。より具体的に言えば、「ユーザ」という言葉をデザインの過程で使うことに、警戒心を持つべきです。

私の次の目標は「Senseware」について、センソリウムでのラボ的な実験と、商品としてのプロダクトアウトを、同時に進めていくことです。センソリウムのプロジェクト群は、メディアアートの分野で紹介されることが多いのですが、アートの領域にとどまってはいけないと思っている。何か共にコラボレーションできる機会があれば、ぜひ声をかけてください。

最後になりましたが、これらのプロジェクトは、個人の作者によるものではありません。センソリウムの仲間達は、東京に暮らす、それぞれ異なる職能を持った人間の集まりです。すべてのプロジェクトは、音楽家やグラフィックデザイナー、文化人類学者やプログラマーなど、異分野のメンバーによる協働作業の結果なのです。プランニング・ディレクターの立場から個人的な意見も多く語りましたが、これらの成果は優れた異才の集まりによって、形を成したものです。彼らに対する尊敬と感謝を、ここで表明させてください。

そして貴重な機会を提供してくれた、Vison Plus 6のスタッフの方々に深く感謝します。
ありがとうございました。



Yoshiaki Nishimura
at "Vison Plus 6"
10. July 1999 / Austrian Museum of Applied Arts / Vienna

Translation: Pamela Virgilio Miki
English-language director, Sensorium