「“な”は〈あなた〉の“な”、“わ”はわたしの“わ”」
Winter 1996
昨95年11月、神戸出身のアーティスト・八木マリヨさんは、神戸の人々に働きかけ、Tシャツなどの古着1万着をより合わせて、巨大な縄をつくりました。縄は東灘区にある神社の境内に立てられ、鎮魂の思いを込めて、震災から1年後の夜に燃やされました。「送り火」を終えた八木さんに話を聞きました。
Interview1
みんなの気持ちを自然にひとつにする時間
何かこう、みんなの気持ちを
自然にひとつにする時間だったのでしょう。
青年会の人たちもものすごく頑張ってくれた。
昔私が幼少の頃、御影に住んでいたときに、
楽車(だんじり)を今へ引き継いでいく担い手が
途絶えてしまっていました。
それが10年前に復興して、
今の青年会がそれを支えています。
気持ちを一つにして結集しなければできない、
気合いというものを
御影の青年会の人たちはしっかり持っている。
大きな力になりますね。
――『なわ』っていい響きですね。
津軽弁で『な』は“あなた”の“な”、
『わ』は“わたし”の“わ”というんです。
似た言葉で『つな』がありますが、
『なわ』という響きがとても好きです。
今つくられている、縄文をテーマにした映画に、
青森の赤松の林につくった私の縄の作品が登場します。
私の環境芸術作品を完成させるには、
いつも多くの人とつくりあげていくのですが、
やはり青森でもインスタレーションを行うときに
地元の人が手伝いに来てくれました。
そして縄をたちあげていく瞬間に、おじいさんが
「これ、ここの為につくったんじゃないか、
松と一緒じゃないか。赤松そのものだ!」
確かに林の中で、
赤色からだんだん碧色に色づいた赤松が
大きくそびえてました。
まったく計算もしていなかったけれど、不思議ですね。
――先ほどの炎からも、同じようなことが感じられましたね。
今日のこともそうです。
「火を燃やす」、
それだけ言っただけなの。
火を燃やしてどうなるこうなると考えたこともないわけね。
どんな風に燃えていくかのイメージもなかった。
でも、すーっと空高くラセンを描いて
一気に燃え上がっていきましたよね。
まるで火龍だった。力強かった。
――炎を見て、これで改めて御影で生きていけると地元の方がおっしゃっていましたが。
「いろんな辛い思いが体の奥にずっと潜んでいて
重苦しかった。
でも、この炎を見ているうちに、
それがわっと全部出ていった気持ちになって
軽くなった。
これで私は大丈夫だと思った」
と言ってくださった。
一緒にこの縄をつくることに関わった
多くの人がそうおっしゃっていました。
縄をつくることで、
次第に気持ちがほぐれていったようです。
心が癒されるのは簡単なことではないです。
ずっと傷を背負い続けますよね、
生きている限り。
でも、一方では、
なにかそれが生きていくエネルギーに変わっていく。
そんな力強さが
この縄に込められているんだと思いました。
Interview2
「立てること、そこが一番大事なんや!」
でも、小さなことでもいいからお手伝いできればという話が
昨年後半に持ち上がったので、
すぐにこの弓弦羽神社に来たんです。
弓弦羽神社の神官――澤田さん――を突然訪ね、
話がトントン拍子に決まっていきました。
ここしかないと思ったんです。
幼少の頃、御影で育ったとはいえ、
もともと都市開発で
近隣のコミュニティは壊されていきましたし、
その後何十年も離れていましので、縁がなかった。
それが、ある時に、
住吉駅から御影駅までずっと歩いたんです。
展覧会の帰りに三宮駅まで出るために。
――三宮といえば、神戸の中心地区ですよね。
ええ。
でも、乗り継ぎばかり、
あるいは歩き続けなければならないという
交通事情だったので。
ああ、なつかしいなという望郷の思いとともに、
歩く度に胸を痛めたんです。
そんな思いから、是非、御影でやりたいと。
でも、地元の人たちから
本当にやりたいという気持ちが出てくるまでは
やりたくない。
自然にいつかそういう時が来るまでは待ちましょう、
と思っていました。
――地元の方はどんな様子でしたか。
最初は
「なんや、この縄って?なんやわからん」だったのが、
「でも、まあ大きいことするのは
みんなの結束のためにはいいことだから。
同じやるんやったら大きくしよう」
とどんどん進めてくれて。
つくっていくうちにも様々な意見が交わされ、
「大きすぎると完成しないのでは?」
「いいや、大きければ大きいほどいい」
「なぜ、縄を立てるんだ」
「立てること、そこが一番大事なんや!」と
青年会の人たちが主張しだしたんです。
私は何も立てることの意味も言っていないのに。
「立てたいんだ」という言葉を交わしただけなのに。
ただ、私が
「立てるためには2mの穴を掘らなくてはならない」
と言うことで、かなり驚き
大変な作業になるということがわかるようになるんです。
そうするとみんな覚悟を示すわけです、
一人一人がだんだんだんだん。
しかも専門家がいたので、
より最初から大変さが理解できたんです。
細かなノウハウなど一切言わなかったけれど、
みんなが真剣に考え始めました。
――火を焚くことは、みんなの中から自然に出てきたことなのですか?
これは、最初に
弓弦羽神社の澤田さんに話を持ちかけたときから、
澤田さんがおっしゃったことです。
縄をなう時期について話していくうちに、
11月25日、26日当日だけでなく、
元旦の参拝客にも見せてあげたいということから発展して、
震災後1年目の1月17日に燃やすことになりました。
――11月25日、26日にみんなで縄をなった時は、地元の人たちの様子はどうでしたか?
Tシャツを丸めたり、
それをつなげていく作業をしているときは、
「大変だな、大変だな、
何で僕たちこんな大変なことやらなきゃいけないんだろう。
日々の生活だけでも大変なのに」と言っていたみんなも、
2日目に入ると次第に真剣になってきて、
なんとかこの縄を縄にして立ちあげるんだと願いを込めて、
集中してラセンを描いていきました。
悲願ですね。
そして、大地の大きな穴にそれを埋め込んでいきました。
「縄をつくるとはこれなんだ!」とは
立ち上がった瞬間の彼らの声でした。
普遍的なものを求めている。
一人一人が目覚めていくという作用を奮い起こす、
揺さぶるものだと思います。
目に見えないものを見る、
触れられないものに触れるということを
可能にすることだと思います。
今回もそうです。
ここで縄をなうという体験は、
私が世に生まれてここで新たに立ったように、
この土地の人、
とくに関わった御影の人たちが、
もう一度自分の根っこというものをしっかり見て、
感じて、立ち上がることができるということになるのかな。
枝葉を張る前に、
それだけの充分な根っこを張ってしっかり立つことで、
力強く生きていけるのだと思います。
――地面に鏡を置くことにより、上と下が同時に映し出され、まさに「ルーツ=根」を感じましたね。
縄の周りに鏡を置いたのは、
地の底が見えるということ、
と同時に空の底が見えるということ、
それが互いにつながることになるでしょう。
それは、地球のへその緒でもあるし、
その地球のへその緒は宇宙から生まれたものだし、
宇宙のへその緒ともつながっている。
そのつながりが、地球が生きていること、
人間も、小さな生き物も、楠も、
土もみんな呼吸をして生きていると思えてくるのです。
――この大地から生まれ、自分たちはそのへその緒で最初はつながっていた、ということを思い出す儀式でもあったわけですね。
そうですね。
ある一方では、地震が
自分たちはこの大地につながりながら
生きているんだと言うことを
思い出させてくれたと感じてます。
私たちもそうであるように地球も動いているんだと。
互いのつながりのもとに
生きていることを感じとれればいいですよね。
――八木さんの今回のアートは、とてもローカリティを持ちながら、グローバルな感覚を持っていますね。
ローカリティということを考えたときに、
人間の体に例えるなら、
一つ一つの細胞なくして体は成り立たない。
今の社会は
一つ一つのコミュニティを大事にしないで、
何事もまずは全体から
出発しているところがあるけれど、
全体は一つ一つの細胞から成り立っているわけですよね。
全体と部分が、両方互いに寄り合わさっていかないと、
グローバルな社会に育っていかないのではないかな
と思います。
――御影の人たちによる行為ではあったけれど、素材(古着のTシャツ)は全国から集められましたね。
ローカルなところと、全国という全体が
うまく寄り合ったアートでしたね。
そして世界へ、というネットワークもひろがって。
部分と全体が、常に自分の体に神経細胞が
張り巡らされているのと同じように、
いいサーキュレーションというか、
スムースに流れていくというのが、健全な姿ですよね。
地震の前から
天文、自然に対していろんな思いを馳せていて、
「ルネッサンスの森」というテーマを
ずっと考えていました。
今から考えると「ルネッサンスの森」は
「弓弦羽の森」だったんだなと。
震災があって、
やっぱり、地球は生きていたということを感じて。
被害にあわれた人々と展覧会を通して出会ったときに、
深く心が傷ついた人たち、
深い悲しみに陥った人たちに対して、
私はなにをすることもできない、
癒すことは一切できないと感じたのです。
私の傷も癒されることはないとも。
それは一体なにで癒されるのか。
ごく小さなこと、
例えば道ばたの草花を愛すること、
そういうひとつひとつを愛していくことで、
自らを昇華させ、積み重ねていく。
長い時間をかけないと癒すことはできない。
そんな時に、縄をつくることはどんな意味があるのかと。
長い時間かけて、こつこつと縄をつくる準備をしていって、
はらはらドキドキしながら最後は一気に縄をなう。
一つのものを大事に大事に育てていくようなものですよね、
花を育てるような。
――最後に一言、どうぞ。
この場に、みんなと一緒に大地に立って、
ああ私は「弓弦羽の森」に帰ってきたなあと思いました。
神社の一番大きな楠、
これがわたしの拠り所で、ルーツだったんだと。
そこに今日、もう一度立つことができて
これから生まれ変わるんだと。
それが今日の感慨なんです。
私が生まれたときは
母親のおなかから一人で生まれてきたわけですが、
今日生まれた自分というのは、
この縄づくりにずっと携わってきてくださった人たち、
そして全国から一緒に参加したいという気持ちを込めて
愛用のTシャツを送ってくれた人たち、
ニューヨークに住む友人の
「離れても私も縄とともにいる」という
熱いメッセージと祈り。
そんな人たちと一緒にここに立つことができて、
ああ生きているんだ、
私もみんなと一緒に生きていけると思えました。
それから、私はいろんな場所で縄をなってきましたが、
ずっと続けていきたいと思います。
縄には終わりがないから。
ずっとつながっていくと思います。
ネットワークとして。
神戸以外の災害に遭われた地域、過去の時代、
これからをふくめて
この「命のつながり」みたいなものが
延々と続いてほしいと願います。
それが地球が生きていることになるのでしょう。
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