変動帯に生きる感性 竹村真一
(文化人類学者・sensorium プロデューサー)

"Sense of the Floating World"

"あんなにひどい目に逢わされても、やっぱり「普賢さま」とあいかわらず手を合わせてしまう自分がいる。不思議なものです。"(島原H氏)

 雲仙普賢岳の噴火、神戸や奥尻の大地震など、日本ではここ数年「火山系」の活動がにわかに活発化し、続けざまに大きな災害に見舞われている。
 周知の通り、特に雲仙や神戸では多数の被害者をだし、行政機構の危機管理能力や現代社会の根本構造(集権的ライフライン、高密度都市デザイン、情報システム等)が問い直されている。

 だが、注目すべきは、そうした災害を身をもって体験した他ならぬ地元の人々から、必ずしも「被災」「危機管理」といった悲壮なトーンばかりではない、むしろ"災害"を通じて人間の世俗的な思惑や欲望を超越した何か"大きなもの"に触れたという感覚が、さまざまな形で表出されている事だ。

火山/地震が意味するもの

 例えば、雲仙普賢岳の災害から復興を進めてきた地元島原のあるリーダーは、冒頭 に紹介したような「山」への信仰(山の名前自体、仏教的な文脈での「聖性」を体現し ている)の変わらぬわらぬ感情を語る――。
 そして、こうした火山や大地に対する宇宙論的かつ地域生態学的な"SENSE"を あらためて基軸にすえて、今後の単なる「復興」に終わらない、地球的/文明論的なメ ッセージ性をもった地域デザインのオルタナティヴ(代案)を、世界にむけて提示して いこうとされている。

 こうした感覚は、10年近く前の伊豆大島三原山の大噴火を地元の人々が「御神火」(ごじんか)と呼ぶ姿勢にも共通するものだろうし、おそらく富士山を筆頭に日本の山(=火のつぼ)に対して深く関わって生活してきた多くの人々が暗黙のうちに共有する"SENSE"なのではないだろうか?

 そして"sensing Japan"のなかの津村喬氏の報告 (part 1 / part 2) も示唆しているように、まだ震災からわずか1年の神戸でも、家族・親族をなくされた方々のなかにすら、(むろん「山信仰」という形ではないが)やはり何か大きな「天」の感覚とでもいうようなものにスパンと抜けてしまい、人生のせせこましい事々などどうでもよくなったと明るく語る声を聴くことも多い−−。

大地/自然に対するアジア的"SENSE"?

 地球物理学者の原田憲一氏は、こうした火山/地震災害に対する姿勢は日本やアジアの顕著な特徴であり、欧米のそれとは極めて対照的だと語る。

 欧米ではもっぱら機能的・即物的なレベルで災害を捉え、必然的にネガティヴな認識に偏向して、その脅威にどう対抗するかだけが論議の対象となるのに対して、日本やアジアでは幾分「宗教的」とも言うべき感覚が顕在化して、むしろ災害(を含めた火山系の変動現象全体)を"受容"しよう−−あるいは、そうした大きな秩序のなかに自己を位置づけていこうとする心性が現れるというのだ。

 このことは別の面からも裏づけられる。実際、九州その他の山岳信仰や四国霊場88カ所の分布を見てもわかるように、こうした火山系の「力の場」が顕在化する点と線(いわば火の「ツボ」と「経絡」)は、日本では多くの場合、宗教的な「聖地」のネットワークと重なっている。
 宗教学者の鎌田東二氏は、火山系列上の特異点の重力場/磁場的特性が「聖地」「霊場」といった宗教的スポットを構成する重要な基礎になっているとし、そうした地球物理学的条件(と、それに対する個人の感応的SENSE)が宗教的な心身の調律/「解発」に好適なコンディションを提供していると看破する。

 さらに『古事記』の国生み神話などを見れば、私たちの棲むこの世界の誕生に"火山活動"が大きく関与し、その恵みのうえに私たちの生命/生活が成り立っているのだと いう明確な宇宙論的感性を、そこに読みとることができる(〜まさに火山噴火のメタフ ァーとして"火の神を生んだ"イザナミ排泄物から大地や水の流れや鉱脈が生成したという文脈:『連感』第2句の鎌田氏のエッセイ参照)。

 そして現代の私たちは、こうした「火山」や「地震」に象徴される地球の胎動へのポ ジティヴな"神話的SENSE"が、地球物理学の観点から「科学的」にも根拠のあるものだということを知っている。

 となると、日本やアジアにおいては火山/地震に関わる一連の現象を、単に"災害"や非常時の防災対策といったネガティヴな視点から語るだけでは十分とは言えないのではないか?
 もっと「宗教的」あるいは「コスモロジカル(宇宙論的)」な次元での世界認識や文化的価値観まで含めた、トータルな社会的"SENSE"の問題として捉えなおす必要があるのではないだろうか?

地球と共生する"SENSE"の再構築へ

 そもそも日本を含めた環太平洋の火山地域は、地球科学的に見ると「変動帯」に位置する。つまりヨーロッパ等の「安定大陸」とは対照的に、つねに地球の呼吸や胎動を体感しつつ生きていかざるを得ない場所に、日本の私たちは生きているのだ。

 また、これらの火山噴火や地震の連鎖は各々単発のものではない。それらは環太平洋を貫く一つの火山系の連なりのうえに生じている大きな胎動の一部なのであり、例えば数年前噴火して大きな被害を出したフィリピン・ピナトゥボ火山等とも繋がっている。

 その意味で、この一連の胎動は、地下の目に見えない環太平洋「火の経絡」の存在を浮かび上がらせるとともに、私たちがそうした経絡=レイヤーで環太平洋の人々と繋がっているということを思いださせてくれるものでもあったわけだ。

 だから、「火の経絡」を私たちに改めて意識させたこの一連の噴火や地震は、一個の生命体としての地球のそうした運動性やリズムをつねに触知し、それと対話的に共生してゆく"SENSE"−−宗教や宇宙論的次元まで含めた"変動帯に生きる感性"の再構築を私たちに迫るものと言えるかもしれない。

環太平洋「火の経絡」ネットワーク

 また一方で、噴火による災害から立ち直り、地球と共生する新たな地域づくりの方向を模索する島原(雲仙)の人々は、現に環太平洋の「火の経絡」に沿ってピナトゥボの人々と連携(ネットワーク)を始めている。
 大島−富士−神戸−島原−ピナトゥボが、たんに地球物理学的な事実としてだけでなく、そうした「火の経絡」のうえに共生してゆく意識"SENSE"のネットワークとしても繋がりはじめている−−。

 図らずも96年には、神戸(震災後1年)、島原、ピナトゥボ山、富士山、三原山(御神火から10年)と、「火の経絡」の上での共生デザインを考えるイベントが1年を通じて地域毎にそれぞれ構想されていて、それらをネットワークした連動企画として統合してゆく動きも始まっている。

 こうした新たな"SENSE"の上に、安定大陸ヨーロッパとは異なる居住デザイン/ライフスタイルを創出してゆく事によって、神戸大震災の悲痛な経験も(単なる「復旧」に終わるのでなく)マクロな文明転換への足がかりとなる可能性が生まれてくるだろう。


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