身体気象感覚 竹村真一
(文化人類学者・sensorium プロデューサー)

"Body Weather/Aerial Sense"

"大気の経絡"を読むSENSE

 「風」を観ることは可能だろうか"

 一般に私たちは空気は見えない"透明"なものだと思い込んでいるし、風を肌で感じたとしても、空気の重みや大気の変化をとくに意識することはない。
 だが、ある種の人々−−特にヨットマンやサーファーなど、大気と水のインターフェイスに生きるワークウェアを持つ人たちや、あるいはグライダー等で空を飛ぶ人たちにとって、風や気流の変化や「気圧の谷」といった目にみえない"大気の経絡"は、もっと確かで把握可能なリアリティを持っている。

 たとえば友人の建築家でヨットマンの中村氏に言わせると、風ははっきり実体として「見える」ものだ。
 水と同じように空気にも「流れ」と「淀み」があり、微細な渦と乱流を生じながら、その密度や重さや速度をつねに変化させている。
 "重い風"もあれば、舞い上がり拡散するばかりの空気もある。ちょっとした気圧の変化で、空気ばかりでなく(船体やボードで感ずる)水も重くなったり軽くなったりする。
 "いま「前線」が自分のうえを通過している"といったことが身体の感覚でわかる。地形に山や谷があるように、空気にも目にみえない「山」や「谷」があって、そうした人々にとってそれは決して「天気図」のような抽象的な記号ではない。

「気象」(=気のかたち)への文化的感性資源

 そういう意味では、サーフィンやヨットやグライダーといった環境対話型のワークウェアは、単に狭い意味での「スポーツ」というだけでなく、「気象」や「大気」といったマクロで不可視の領域に対する繊細でホロニック(全体的)な"SENSE"を開発する特権的なメディアと見ることもできる。

 そして、そうした回路から環境と深く関わっている人々の豊かな「経験資源」をより広く一般に共有してゆくことを通して、私たちの"気象的SENSE"も少し変わってゆく部分があるかもしれない。

 古来より、「風」には様々な名前がつけられてきた。
 特に日本には、各々の季節の風の名前に地方ごとのバリエーションを考慮するなら、伝統的に2000以上の"風の名前"があったそうだ。
 名前が多いということは、裏返せば「風」に対する意識−−しっかりとは触れられない不可視のものを実体的なリアリティとして捉える感性が発達していたという証拠でもある。
 「東風(こち)」や「木枯し」など、詩歌・文芸の世界でもパスワードのような機能を果たし、日本人の季節感や環境意識、さらには深い人生観を表現する象徴的役割を担ってきた風もある。
 ちなみに"時雨"や"春雨"など、「雨」を表現する言葉も日本語には多い。エスキモーなどは、私たちには同じようにしか見えない白一色の「雪」の状態を幾種類ものボキャブラリーで見分け/言分けして表現するというが、日本人の場合、「雨」や「風」などのより非実体的で"fluid"で"fragile"な現象に対して文化的感性を開発してきた点にあらためて驚かされる。

「身体気象感覚」の復権

 現代の都市生活のなかで、こうした文化的感性を直接的なかたちで再活性化させるのは確かに容易なことではないだろう。とはいえ、じつは誰もが「風」のセンサーを持っている。
 ヨットやグライダーをやってなくとも、また「風の名前」など知らなくとも、知らずしらずのうちに誰もが「空」の機嫌に影響され、季節や時間に応じた微妙な「気象」の変化を感じている。
 たとえば、気圧の変化によって体調が大きく変動する事実−−。特に前線の通過にともなって頭痛や発作に悩まされる人は多い。

 こうした事は、じつは古今東西の「身体気象学」あるいは「生理気象学」という分野で注目されてきた問題で、中国・インドやギリシャの伝統医学のなかでも、身体生理と環境(気象・季節変化)との関わりは特に健康思想の基本として古代から重視され、さまざまな知見が蓄積されてきた。

 "こうした季節にこういう風が吹くと、こういう病気がはやる""こういう体質の人はこういう季節や風土環境では気をつけた方がいい"といったパターンが、地域ごと/文化ごとに深められ、現代でもヨーロッバ等では「生理気象学地図」のような形で体質や病気と地域風土との関連が詳細にマップ化される−−あるいは「身体気象予報」とい った形で特定の季節・時候に特定の病気や症状に対する予防警報が発せられていた。

 「空」を眺め「風」を知ることは、じつは「自分」を知ることにも深く繋がっているわけで、その意味で古典的な「環境技術」としての"観天望気"(気象変化を深く観察し予期すること)は、最も現実的な「健康技術」でもあったのだ。

 さらに言えば、「風」は実体的な現象、目にみえる運動を通じて、それを超える不可視の領域、見えないものの次元を告げ知らせる。
 だから古来、風は目には見えない「力」(エネルギー)の作用、あるいは「神」や「霊」の訪れ(音連れ)を告げるものとして、私たちの感性の異次元を覚醒させるものでもあった。
 風は単なる物理現象でなく、なによりもある種の「情報」を運んでくるもの(=メッセンジャー)であり、声なき声に耳を澄ますべき(聴くべき)ものであった。

 いま、インターネットが「風」や「空」への個々人の経験資源をネットワークし、チャネリングすることを通じて、あらためて「風」を見、「空」を観ずる感覚をリデザインしてゆくことを通じて、そうした大きな次元への(決して抽象的な神秘主義でない)"SENSE"を私たちが開かれてゆくことが出来るだろうか?