三浦梅園(みうら・ばいえん)

 江戸中〜後期の儒医・哲学者。
 1723(享保8)年、豊後の国(現在の大分県)は国東半島の医師の家に生まれる。15歳で詩作を志し、多数の作品を書く一方、詩体の分類など詩学・詩論を執筆。また、朱子学をベースに、伝統医学、解剖学、西洋と中国の天文学・地学・物理学、博物学、言語学、政治、経済などを広く研究した。
「あるままに天地に従いて、天地を師とするにしくはなく候」という、現代の科学精神にも通ずる客観主義で自然と人間との関係を追究。諸学の専門化を批判し、今日の言葉でいうところの「インターディシプリネーション(学際化)」をも提唱した。さまざまな分野の学者と書簡を交わし、動物の解剖を多数行い、ケプラーやガリレオらの学説を学び、また天球儀を自ら製作するなど、書斎にとじこもるばかりではない、行動的な知識人だったといえるだろう。
 1789(寛政元)年、没。主著に『敢語』『贅語』『玄語』などがある。