[back to sensorium homepage] English

January 1998
For INET'98

※本テキストは、ISOC(インターネット・ソサエティ)が主宰する学会イベント「INET'98」用に書かれた発表論文の草稿です。
 最終的に提出しプレゼンテーションされた英文ペーパーとは、内容や構成が異なります。興味のある方は、そちらもご覧ください。




インターネット上に
感性のプラットフォームをデザインする

"Designing a Public Sensory Platform on the Net"


Shin-ichi Takemura (takemura@blue.ocn.ne.jp)
Touhoku Univ. of Art & Design, Japan

Yoshiaki Nishimura (nish@kt.rim.or.jp)

Hiroyuki Ohno (hohno@ohnolab.org)
Tokyo Institute of Technology
※本草稿段階では、大野先生は執筆作業に参加していません。


Abstract
本論はWWW上での実験プロジェクト"Sensorium"(http://www.sensorium.org)の試みを中心に、新たな「世界経験の窓」Doors of Perception としてのインターネットの可能性や、"Webness"/"Connectivity" といった新たな関係概念の本質に関して実践的な分析を行なうことを意図している。

活版印刷やテレビが登場した時と同様に、インターネットという新たなメディアも、まだ紙媒体や20世紀的な映像メディアの模倣/延長の域を脱しているとは言えない。古いメディアを単純にサイバースペースに移植することで得られる表面的な利便性や経済効果が、かえってインターネットの可能性の中心を覆い隠しているともいえる。

そうした趨勢に対して、もともと1996年のInternet World Expoの日本ゾーンのテーマ館として製作を開始した"Sensorium" は、インターネットという新たなメディアの本質に焦点をあて、インターネット時代固有の生きた経験のデザインを模索してきた。

それはまた、既存の知識やデータをただデジタル化して並べるのではない、「いま」を深く経験/共有してゆくための新たな「場としてのウェブサイトづくり」の実験でもあり、ネットワーク上において初めて成立しうるような地球市民の感性公共財をデザインしていく試みでもあった。

特にポイントとなるのは、以下の点である:

Table of Contents


インターネット時代の地球認識

コンピューター画面上にひろがる深い青の空間に、振動する銀色の地球像がぽっかりと浮かぶ。よく見ると、地球上のさまざまな場所にボコボコと泡のようなものが絶え間なく発生し、地球全体が呼吸しているように見える。文字通り“ブリージングアース”=「呼吸する地球」と名づけられた、私たちのウェブサイト「センソリウム」の一部だ 。


fig.1

これは世界中で日々発生している地震の動きをモニターしたもので、最近(正確にはそのホームページを見ている時から遡って過去二週間分)の地球の胎動の様子を、全体像として10数秒のCGアニメーションに圧縮して見せている。
とはいえ、これが単なるイメージ的な作り物ではなく、インターネット経由で日々入手される世界中の地震計の観測データに基づいた“本物の”地球の自画像であるところが重要なのだ(データソースは米国・IDCのウェブページ。製作段階でウェブ管理者と連絡を取り、非商用利用を明示して許可を得た)。

世界中に散在する地震計は、いわば地球の胎動を刻々感知する無数のセンサーにほかならない。その各地点での微細な地殻変動のデータが、インターネットを基盤とした情報ネットワークを通じて逐次集積され、日々更新される地球規模の生きた地震データベースをインターネット(WWW)上に形成している。同じような地球のリアルタイムなデータ・センシングとそのデータベース化は、気温・海面温度・風向・海流などさまざまな側面から行なわれ、それらが「エルニーニョ現象」など従来は不可能だった全地球的なスケールでの気候変動や地殻活動の把握を可能にしつつある。

その意味で、私たち人類はいまや生きて呼吸する地球という有機体の日々の“体調”や“気分”の変動をトータルにモニタリングする「地球大の神経系」を手に入れつつあるとも言えるのだ。
ただ残念なことに、そうした情報リソースは、地震学者など一部の専門家が利用するだけの無味乾燥な数値データの羅列にとどまり、多くの人々はその存在すら知らない。地球人類の大半は、日々の生活のなかでこうした「地球大の神経系」の存在を実感することもなく、それを通じて地球という生命体の躍動を感じとることもない。

私たちが96年末にウェブ上に公開し既に一年以上動き続けている"BreathingEarth"は、この情報公共財としての地震データベースをもとに、通常は専門家にしか意味をなさないこうした数値データを、一般の人々や子供たちでも直観的にわかるような可視的な表現に変換するプログラムとして作成してみたものだ。
それは、いわば“地球的感性のプラットフォームづくり”であり、一人一人が「地球大の神経系」を潜在的に持っているのだということを実感するために、個人端末(パソコン)に地球をのぞく「窓」をうがつ試みだった。

それによって、地球は一つの「全体」としてつねに生きて呼吸していること、地震がたまにしか起こらない異常事態では決してなく、むしろ日々世界中で無数に生じている健康な地球の“常態”であること、また日本で私たちが体験する地震もここで見ると決して孤立した単発のものではなく、インドネシアやフィリピンでの数日前の地震と連動(リンク)した“大地のネットワーク上の出来事”であること等がよくわかる。


新たな世界経験と、
想像力の引き金としてのウェブコンテンツ

これはまだ“センソリウム”の初歩的な実験段階の一部に過ぎないが、それでもインターネットがもたらす新たな認識と感性の可能性の萌芽をそこに見ることはできる。

  私たちが目指したことは、何よりも“インターネットがもたらす新たな世界経験”の探求であり、“WWW(ワールド・ワイド・ウェブ)という新たなメディア構造を使ってしか出来ないような何か”を模索することだった。

紙の教科書やTV映像など旧来のメディアで行なわれていたものを電子媒体に移し変えたり、博物館や美術館の所蔵品を単純にデジタル化してサイバースペースに移植するだけでなく、このようにウェブ環境固有の構造を活用して、生きた世界を新たなかたちでホロニックに経験する仕組みを実現することも可能なのだ。

もちろん、コンピュータ上での体験を過大評価するつもりはない。世界を感じる最良の方法はNationalGeographicの閲覧より、旅に出たり部屋の窓を開けることだ。
しかし、身体を通じて感じる身近な自然と同じくらい、人の心の中の自然、自分の手の届かない遠い場所で息づいている自然を感じる力が重要だ。そこがやせ細っていけば、その反映として外側に広がる自然もやせ細っていく。環境問題とは私たちが自分の外部に広がる世界に対する想像力の問題、遠い自然と自分の関係性の問題ではなかろうか。

sensoriumが試みているのは、インターネットという電子環境をも含む生きた世界のダイナミズムに、アクセスした人の想像力が飛び立っていく何か強いきっかけとなるようなウェブ経験を、インターネットの上につくり、置いてみることである。

これは、風鈴の比喩で説明するとわかりやすいかもしれない。日本の家屋において、風鈴は単にその音色を楽しむための楽器として庭に面した軒下に吊り下げられているのではない。それは何より「いま庭先に吹く風」を聴覚化して経験するメディアなのだ。
音を介して風をイメージ化することで、心の中の自然は少し涼しくなる。またこれを引き金にして、やがて部屋の奥にいる自分にも届くその風を感じるために、皮膚の意識が少し上がる。世界を認識する小さなきっかけとして、風鈴はデザインされている。

こうした触媒的なウエブ経験のデザインという点では、「センソリウム」の他の2つのコンテンツ "You are not who you were"と "Star Place" も良い参考事例だ。


fig.3

前者はページにアクセスしている人の身体の細胞が、前回アクセス時から現在までに量的にどのくらい(何%)入れ替わったかを人型のグラフィックに図示するもの(私たちの細胞は毎日数千億の単位で交替していると言われる)。
後者は、自分(のいる地球)がつねに太陽系の宇宙空間をとんでもない速度で飛行=移動しているというリアリティを、そのページを開いた瞬間からカウンターの数字が飛躍的に増えていくそのスピード感(秒速30kmゆえに数十秒で軽く千キロを超えてしまう)で体感させるライブ・システムである。


fig.2

いずれも、個々人が別々の時点で自ら能動的にページにアクセスすることで成立する本質的に「インタラクティヴ」(=マス・カスタマイジング)なこのメディアの特性を活かして、不変・不動と錯覚している自分の存在が実はこんなにもダイナミックに移動・変化し続けているという「ライブ」で「アップデイト」な自己認識に誘う、ウェブメディアの特性をほどよく活かした「経験」のデザインである。

両プロジェクトともJAVAscriptを使った、比較的シンプルな仕掛けであり、"You are.."ではそれにユーザクライアントのCookieファイルを組み合わせている。
ユーザが起こすアクションに対応して、何らかのイベントを作り出す仕組みを、インタラクティブと称してもてはやす傾向があるが、ページにやってきたユーザは既にアクションを起こしていることを忘れてはいけない。これら二つのプロジェクトは、インタラクティビティというテーマに対する私たちのコメントでもあるのだ。


「ジグソーパズル型」のメディア構造と
公共財としての"Inter-web"コンテンツ

さて、こうして見ると、“ブリージングアース”にしても、表向きは地震や生きている「地球」の可視化をテーマとしたコンテンツではあるが、同時に(間接的に)インターネットというものの本質を浮かび上がらせ、それがもたらす新たな情報環境を生きるホロニックな「感性」を隠れた主題としたものでもあったと言える。

というのも、世界中の地震計のデータをリアルタイムに近いかたちで刻々と集計し、それを誰もがアクセスしうる画面上でトータルに可視化するといった“離れ業”は、まさにインターネットという情報環境の生成を通じて初めて可能になったものだ。思えばこれは実に驚くべきことであり、このような経験の可能性そのものへの驚異と感謝の感覚を、私たちは多くの人々と共有していきたかったのだ。

この新たな経験の構造は、次のようなイメージで捉えることができるだろう。

たとえば宇宙飛行士ラッセル・シュワイカートは、地球の外から一つの「全体」として地球を見るという経験が、人類と地球の新たな関係を生みだしてゆく決定的な契機となったと言う。それを象徴的に表現するのが“飛び上がったノミ”という比喩だ。
象の背中に居るノミは、象があまりに巨大なためにそれを生き物とは思わず、どこまでも続く大地のようにしか認識していない。ところが、あるとき思いっきり上空に飛び上がって下を見たとき初めて、ノミはそれが無限の大地ではなく、自分と同じ有限で脆弱な一個の生物にすぎないことに気づく。これがちょうど宇宙から地球を眺める特権的な視点をえた20世紀の人類の新たな段階ーー一個の生命体(ガイア)として地球を捉え、資源の有限性や環境保全を考え始めた私たちの情況を表しているのは確かだ。

だが、インターネットを通じて地球の生態をモニターする先の"Breathing Earth"は“地球”という象を一つの「全体」として認識するもう一つの方法がある、ということを指し示している。
すなわち、“飛び上がったノミ”のそれが上空からの「トップダウン」の全体像であるとすれば、この地震の地球センシングは、いわば巨大な象の身体中にへばりついた無数のノミが大地の微細な揺れを触感しているようなものであり、その多様な感触がリアルタイムに集積/編集されて出来た「ボトムアップ」な全体像なのだ。

へばりついたノミ達が感じている地球の認識はみなローカルでバラバラなもの繙繧サの限りにおいては“群盲象をなでる”のことわざ通り、このノミ達は“群盲”にすぎない。だが、それらがネットワークでつながり、お互いのもつ小さな「感触」のデータを集めて共有し始める時、そこにはまるで「ジグソーパズル」のように思わぬ全体“象”が立ち現れてくる。いわば“ネットワークする群盲”の世界像だ。
(現在製作中の"Night & Day"も、世界各地のピープホール画像を写真の画素のようにジクソーパズル的に貼り合わせることで地球の日影をリアルタイムに可視化する物だ)

これはインターネット時代固有の認識形態であり、新たな世界経験のモードの誕生にほかならない。
それは一元的な「鳥瞰図」でもなく、バラバラのローカルな「虫瞰図」でもない。小さな個人の認識(センサー)から出発したものでありながら、電話や手紙のように「パーソナル」でも、TVや出版のような「マス」でもない、第三の構造をもつ。
それが従来とは異質な“全体像”の創出と共有化を可能にし、「個」と「全体」の関係をこれまでになかったような形で組みかえてゆく。

もちろん、これはインターネット自体がもつ構造的特質の反映である。
例えば、どんなに巨大なコレクションをもつ美術館も、世界全体の美術コレクションのなかでは、ほんの小さなピース=断片に過ぎない。しかし、それを個々の美術館/博物館の空間に囲い込み独占・秘匿しているのでなく、インターネット(WWW)という電子の「コモンズ」(公共広場)に公開し、互いのリソースを「共有」しあうことで、ジグソーパズル的に壮大なアートコレクションがボトムアップで形成され、そこに人類の持つ芸術的リソースの全体「象」が思いがけず浮上してきたのだ。
これは単に世界中の文化財や美術品が一望できるという量的な爆発にとどまらない、人類の情報体験の質的な飛躍と言える。個々のコンテンツとしては、リアル空間(紙や布)に物財化した情報をサイバースペースに移設したものではあるが、そのシナジェティックな経験様式においては、インターネット時代ならではの特性を持ち始めている。

もっとも、私たちがSensoriumの製作を通じて実感してきたのは、こうした分散構造とコラボレーションのさらに興味深い側面だ。
たとえば"BreathingEarth"や後述する"WebHopper"など、sensoriumの多くのプロジェクトには、sensorium以外のサイトが管理運営するネットワーク上の複数のサーバと協調/連動することによって初めて成立しているものが多い。"BreathingEarth"の場合、IDCのウェブサーバーが落ちれば地球は白紙状態になるし、ネットワークやDNSサーバが落ちても同様だ。その意味では、sensoriumは本質的に"Inter-Website"projectであるし、そもそもあらゆるウェブサイトが"Inter-router"projectである。
また、地球全体を覆う地震観測網のデータも、細部のデータがかければ末端神経不全になる。自動化された地球画像のレンダリングは、ポヴレイというコマンドライン仕様の3Dソフトによって成立しているが、これもインターネット上で見つけたものだ。リソースやツールを使って作り出され、インターネットの上に置かれたウェブプロダクト。これを一体、誰の「作品」と呼ぶべきだろう?

ここに現れているものを、従来のアートワークのように特定の個人の「作品」として提示するのは難しい。それは、サイトにアクセスしてくる人にとっても、サイトを作った自分達自身にとっても、所有感覚の低い何かであり、あえて言えばみなで共有する「経験財」でしかないのだ。
これはまさに「所有」概念における大きな変革である。


メディアの脱ブラックボックス化
インターネットのメディア特性そのものの表現

とはいえ他方で、インターネットのこうしたボトムアップ型の成り立ちは、いまやインターネットの新しいユーザ達にはなかなか見えにくいものになりつつあるのも事実である。

ホームページを観る時も、結局一枚一枚のページを本のようにめくっている感じで、世界中のサーバーを旅している感覚も、多様な情報や生きた人間達がジグソーパズルのように「コネクション」しているというリアリティも直感的構造としてはあまりない。
多くの場合メディアデザイナーは、ユーザーは背後のネットワーク構造を感じる必要はなく、コンテンツの面白さだけを享受すればいい、と考えている。その結果、残念ながら多くのネットワークコンテンツが、図鑑やCD-ROMを見る経験とさほど変わらないものになってしまっている。

さらに現行のメディア教育は、ともすれば得られる知識量だけで教育的効果を計り、コンピューター導入に関してもその道具的・手段的習熟に重点を置くあまり、e-メールの受発信やホームページ/データベースの利用といったメディア技術の成果(結果物)には注意を向けても、それを可能にしている仕組みやプロセスについては(他のメディアと同様に)ほとんど関心が払われていないように思われる。

そこで、そうした「ブラックボックス化」しがちなインターネットの構造的本質と、生きた人間が繋がりあうことで創出しているその面白さに人々の注意を喚起するような実験的な仕掛けを、2つの方法でデザインしてみた。

たとえば、センソリウムの聴覚系コンテンツである"Net Sound" は、インターネットに一種の「聴診器」を当て、ネットワーク上のパケットの動きを音に変換して聴くシステムだ。


fig.4

聴診器というのは一つのたとえだが、単なる比喩以上のものでもある。というのも、このコンテンツの基礎となっているソフトウエアは、実際にネットの「医者」とも言うべきネット管理技術者がネットワークの状態を定点観測するために、TCPdumpによるネットワークトラフィックのデータを、音に変換して聴く仕組みとして考案したものだからだ("Stetho":東京工業大学大野研究室)。
私たちは大野研究室と一緒に、このシステムを応用して、専門家以外の一般ユーザのネットワークへの感性を活性化しうるようなartistic/aestheticなライヴコンテンツを作ってみた。ネットワークが、一つの自律的な生態系のように息づいていることが実感できるのではないだろうか。

だが、ネットサウンドの面白さはそれだけではない。それはもう一つの側面として、サイバースペースで、またその向こうのリアル空間で生きて活動する「他者」の存在をーーーその気配や営みを体感しうる仕組みでもある。
実際、あるミュージアムなどにこの聴診器システムを当てれば、子供たちが沢山来て端末を利用している時間には騒がしく、夜間には静かになるといった具合なのだ。

  リアルな街並みや建物の中であれば、同じ場所に集っている人々の様子を、視覚や聴覚で捉えることができる。しかしネットワークにおいては、同じ時間に同じ空間を世界中から共有している他者の存在を感じる回路が、あまり存在しない。UNIXユーザであれば他のユーザのログイン状況を見てtalkを始めるような面白さがあると思うが、インターネットの新しいユーザー達にとって、それらは当たり前のことではない。 つまり「サイバー」ネットワークを介して、その向こうに「リアル」な人々の営みが共時的に存在すること、自分が見知らぬ他者と“つながっている”ことを触知するための仕組みとしてもNet soundはあるわけだ。

第二は「ウェブホッパー」というコンテンツ,及びその博物館的な応用例としてオーストリアの電子アート・ミュージアム「アルス・エレクトロニカ・センター」(その来訪者のかなりの部分は子供)に構築したシステムである。

もともと「ウェブホッパー」は、世界中のホームページをネットサーフィンしてゆく複数の人々のヴァーチャルな「旅」の軌跡を、ウェブ(センソリウム)上の世界地図にリアルタイムで映し出すメタ・ウェブ・コンテンツである。
基幹ネットワークをタップし、TcpDumpデータを入手することで、そこを流れていくパケットの終点アドレスを得る。これを緯度経度情報に置き換え、JAVAアプレット上にその移動の軌跡をリアルタイムに描き出す。各人のパケットを識別することで、複数名の軌跡を異なるラインで世界地図上に表示していくシステムだ。
(先にも触れた BreathingEarth同様、ここでも他のサイトにあるウェブサーバがシステムの一部として協調的に動く仕掛けを作っている。ip2llサーバがそれで、北アメリカエリアについて、IPアドレスを緯度経度情報に変換する作業をネットワーク越しに依存している。作者には、非商用の利用という前提で許諾を得ている)

私たちはこの仕組みを基本にして、オーストリア/リンツのメディアアートミュージアム・アルスエレクトロニカセンターの一室に、画面の色の異なる、複数のインターネット端末と巨大な世界地図モニターを設置し、そこで人々がたとえば赤い端末で東京やロンドンのページをブラウジング(閲覧)すると、即時的に世界地図上に自分の「赤い」軌跡が(リンツ〜東京〜ロンドンという具合に)描かれていく、というシステムを構築した。これにより子供たちでもネットワークを使って実際にどのように世界中を旅しているのかを直観的に理解できるようにしたわけだ。


fig.5

さらにそこでは自分のグローバルな移動とともに、その隣の緑や青の端末でネットサーフィンしている友人たちの「緑」や「青」の軌跡も同じモニター上に可視化される。
それによって、自分が複数の他者と一つのサイバースペースを共有しつつ、こうした一人一人の情報のやりとりの集積が“インターネット”というものの内実を形成しているのだという感覚をリアルに把握することが可能になる。



Interface as "sense-ware"

最後にsensoriumの最新プロジェクトの一つで、97年9月から前述・アルスエレクトロニカセンターに設置展示している、BeWare01: Satelliteを紹介しておく。

BeWare01: Satelliteは、インターネットにIP接続されたインスタレーションだ。極軌道衛星NOAAからの地球一周分のデータをインターネット越しに入手し、幅9cm・長さ160cmのプレート上に可視画像を投影。実際に衛星の飛んでいる速度に合わせて動かしつつ、赤外線画像の解析から得た温度データを、プレート下面に貼ったペルチエ素子を制御することで、手で触ると温度差の表現が伝わる生きたオブジェを作ってみた。
触感をつうじて、生きている地球への想像力を刺激すると同時に、インターネットで可能な表現のイメージを拡げようという試みである。

BeWare01: Satelliteは、インターネットにIP接続されたインスタレーションだ。極軌道衛星NOAAからの地球一周分のデータをインターネット越しに入手し、幅9cm・長さ160cmのプレート上に可視画像を投影。実際に衛星の飛んでいる速度に合わせて動かしつつ、赤外線画像の解析から得た温度データを、プレート下面に貼ったペルチエ素子を制御することで、手で触ると温度差の表現が伝わる生きたオブジェを作ってみた。
触感をつうじて、生きている地球への想像力を刺激すると同時に、インターネットで可能な表現のイメージを拡げようという試みである。


fig.6

モニター+マウス+キーボードの三点セットが、コンピュータのインターフェイスの最終系ではないだろう。これらは、あくまで過渡期の一時的な形態に過ぎないのではないだろうか。また、WWWのインターフェイスがwebブラウザーに限られる必要もないだろう。現在のPCは、モニターを中心とした視覚系情報端末に偏っている。NetSoundで試みた聴覚化表現は、それに対するひとつのアンチテーゼでもあった。BeWareは、さらに身体的で直感的な経験性を伴ったwebコンテンツの可能性への実験である。

ネットワーク化されたコンピュータや、その先に繋がっている様々なセンシングシステムを通じて得られる、インターネットならではの世界経験の深化。そして同時に、インターネットが持っている可能性を、従来のメディアが持っていた表現形式に囚われることなく、形にしていくこと。これらが、現在のsensoriumのテーマであり、それを具体的なプロジェクトの紹介を通じて語ってきた。

ところで、これらは一体どんなカテゴリーに準ずる表現だろう。たとえば、エデュテイメントなのか科学教材なのか、エンターテイメントかアートなのか。自分達の考え方は、そのすべてであり、どれでも構わないというものだ。私たちは、インターネットの上に具体的な何かを作ることで、インターネットそのものをより生き生きとさせることを楽しんでいるに過ぎない。
しかしsensoriumでの実験結果が、新しい学習教材の可能性やエンターテイメント、アートの可能性をはらんでいることは、メンバー自身も強く実感している。それらは、今後sensoriumが優れたパートナーと出会っていく中で、具体的な形になっていくだろうと考える。

最後につけ加えたいのは、sensoriumがインターネットを作った人達に対するリスペクトの表明としても作られてきたことだ。一人一人のささやかなcontributionの集積として、全体がうまくいっている大きな自然のようなシステム。この上でどんなに面白いものを作っても、インターネットそのもののもの凄さにはかなわない。だから、インタネットが持つ可能性を形にしてみせることが、インターネットに後から参加した表現者の、最良の参加であり役割だろうと考えた。
この新しい世界の可能性は、そのまま私たち自身の可能性なのだと思う。